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豊かでさわやかな町

TEL. 059-347-0681

〒510-0854 三重県四日市市塩浜本町1丁目1−2

地域紹介ANNOUNCE

「塩浜のあゆみ」年表


  「塩浜のあゆみ」 年表

 年代  西暦 内容 
中世    [平安・鎌倉・室町・戦国時代】
 平安中期     大里・塩浜・一色・馳出は「川後郷」に属する。(古屋草紙
 応和2年  962  「神田塩浜御薗」として、外宮に塩五斗を上分する。(神鳳抄
 永禄2年 1559  「塩浜合戦」関氏と工藤氏がこの地で戦う。(勢陽五鈴遺響
 天正3年 1575  織田勢のため社寺焼かれ、信長の配下に入る。
  10年 1582  徳川家康本能寺の変後、三河への帰路この地に立ち寄る。
 近世
  [江戸時代]
 慶長8年 1603 塩浜が徳川領となり、初代の代官に「水谷九左衛門光勝」がなる
 慶長年間   大里に「竹管水道」が引かれ、水神様を祀る。
 元禄年間   「馳出地蔵」がこの地に移る。
 宝永4年 1707 大地震があり、塩取浜・新田がつぶれる。
 正徳5年 1715 この地、長島藩増山氏の所領となる。
 享保7年 1722 大暴風により大里の堤防決壊、「大柳地蔵」が建てられた。
 寛延2年 1749 「辰巳新田」(高・浜旭)開発、木曾崎村の白木金太夫による。
 天明8年 1788 「御薗地蔵」が建てられた。
 享和2年 1802 天領に復し、「信楽代官多羅尾氏」の支配を受ける。
 享和年間   「磯津の漁業」塩浜の村木五兵衛によって始まる。(勢陽雑記)
文化11年 1814 「大橋新田」(北旭)開発、木曽崎村の大橋六兵衛による。
 安政元年 1854 大地震があり、寺の倒壊多し。
  近代     [明治・大正時代]
 明治元年 1868 大津県に属する。
   4年 1871 安濃津県となり、後に三重県となる。(明治9年
   8年 1875 辰巳・大橋新田合併して旭村になる。
    塩浜学校が開設され、塩浜・馳出・旭に分校をおく。
  22年 1889 塩浜・馳出・旭三村合併して塩浜村となる。
  23年 1890 塩浜尋常小学校になる。(御薗町)
 大正8年 1919 伊勢鉄道、高田本山と海山道間に軽便鉄道を開通させる。。
  15年 1926  塩浜駅に電車が通る。(伊勢電気鉄道)
  現代    [昭和・平成時代]
  昭和2年 1927 「旭村の土地裁判」が起こる。(和解 昭和14年)
   5年 1930 四日市市と合併する。
   7年 1932 塩浜尋常高等小学校が新築移転される。(旧七津屋
    東洋毛糸工場が設立される。(昭和17年 東洋紡績
  15年 1940 海軍燃料廠住宅(現浜旭住宅)が建設される
    塩浜小学校が移転される。(現 昭石グランド)
    七津屋・浜旭・高旭の移転が完了する。
    「松泉町」東邦重工業の社宅として建設される
    海軍燃料廠・石原産業が操業を始める。
  17年 1942 小浜町」が字「浜田」の地に建設される
  19年 1944 国鉄塩浜駅が新設され、四日市と塩浜間に引込線が開通する。
    東南海大地震があり、石原産業の大煙突が折れる。(12月)
  20年 1945 数次の空襲で海燃は壊滅、被害が地区一帯に及ぶ。(6月)
    塩浜小学校が海軍燃料廠工員養成所跡に移転される。(現在
    「日本肥料」が海軍燃料廠跡を転用して設立される
  22年 1947 新制中学校制度ができ、塩浜中学校が発足する
    県立塩浜病院が設立される。
    「東邦化学」が東邦町に設立される。(東邦重工業の後身
  25年 1950 「日本化成」が設立される。(三菱化学 現三菱ケミカル
  28年 1953  十三号台風で大きな被害がでる。(9月25日)
    「雨池町」ができる。(全戸移転 昭和42年)
  30年 1955 三重火力発電所が建設される。(操業停止 平成元年6月30日)
  31年 1956 昭和石油工場建設が始まる。(石油コンビナート化)
    三浜小学校が新設される
  34年 1959 伊勢湾台風により未曽有の被害がでる。(9月26日
  36年 1961 公害が地区問題になり、全戸にアンケート調査を実施する。
  37年 1962 「磯津橋」が竣工する。(12月27日 市内最長永久橋
  41年 1966 「平和町」の移転が始まる。(完了 昭和43年)
  43年  1968 塩浜中学校が現在地に移転する
  47年  1972 四日市公害裁判で原告側勝訴の判決がでる。
  55年 1980 塩浜出張所が「塩浜地区市民センター」になる。
  57年 1982 「中里住宅団地」が市開発公社により分譲を始める。
  58年 1983  塩浜地区市民センターが新築される。(10月20日
 平成5年 1993 「小倉橋」改設される。(7月
  11年 1999 「ヘルスプラザ」が塩浜病院跡地に新設される。(4月15日)
  26年 2014 「三浜小学校」が閉校される
    塩浜小・三浜小が統合され、新しい「塩浜小学校」が開校される。
  28年 2016 「三浜文化会館」(カルチュール三浜)が開館される。
     [令和時代]
 令和元年 2019 鈴鹿川河口国土強靭化対策工事が施工される
    「塩浜地区まちづくり構想」が策定され、市長に提出される(12月)
   4年 2022 四日市公害裁判判決から五十年を迎える。(7月24日
     



塩浜地区市民センター

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センターは、地域社会づくりを推進するため、住民の連帯意識を高め、積極的な地域活動の場を提供するものであり、また、地域における市行政の窓口として住民の利便に供するとともに、生活文化の向上と福祉の増進を図ることを目的とする。



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